【急性期病院の理学療法士】4年働いただけで病棟との窓口。頼れる先輩もいない。看護師との連携は得られない。仕事の中での自己肯定感もなく、自宅と職場を往復する日々。

【急性期病院の理学療法士】4年働いただけで病棟との窓口。頼れる先輩もいない。看護師との連携は得られない。仕事の中での自己肯定感もなく、自宅と職場を往復する日々。

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
26歳

【当時の職業】
急性期病院の理学療法士

【当時の住まい】
賃貸マンションで一人暮らし

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
その他





【就職のきっかけと経緯】
大学卒業、国試合格後に入職
まずは急性期病院で疾患について学ぶ方がいいと考えており、その中でも短期間で多くの疾患が見られるように病棟担当制ではなく、全病棟の患者をまんべんなく担当できる病院を選んだ

【環境と仕事内容】
整形、脳神経、消化器、呼吸器、循環器、がんなどの全ての疾患を隔たりない患者のリハビリテーションを担当していた
PT30人、OT4人、ST4人程度
5〜6人のPTのグループサブリーダー
日曜日固定の週休2日制、
年末年始も休める人数が増えるのみでリハビリテーションは実施(1日出るごとに7,000円の手当て)
給与は350〜400万の間
リハビリテーション科が入れる寮はなく、住宅手当もなし

【大変だった時期】
働きだして4年目程度の、病棟とのやり取りなどを主体的に行わなければならなくなった頃からがとくに大変だった




【大変だったこと】
やり取りを担当していた病棟の看護師がリハビリテーションに非協力的であり、カンファレンスに参加してもリハビリテーション科の職員の時間もさいているなかで新人指導が始まったりと扱いがひどかった
患者の離床を促すための提案も実施してもらえないことも多く、年齢や経験年数が自分よりしたと思えば上からものを言う看護師が多く、やり取りするのも嫌だった
また、リハビリテーションとして関わっていても病状が悪くなっていきなくなる人、悪い状態で安定したまま転院していく人が多く気落ちすることが多かったのもしんどかった
よくなる人もいるが、整形外科の患者であればよくなるのは当然の事であり、治癒を邪魔せずに最大限の改善を目指すとは言え、自分の仕事による成果とは感じられなかったため、自己肯定感を失っていた

【大変だった期間】
看護師との関係性は入った当初からいいと思えないことが多かった
一番リハビリテーションに理解が得られない病棟との窓口になってからは特にひどく、転職を決意してその環境で頑張らないと決めてからは楽になった




【当時の心境】
なぜ自分がその仕事をしているのか、誰がやってもいいんじゃないか、今自分が死んだとしても誰も困らないのではないかと考えていた
死にたい、死のうとかはないけれど、いつ死んでもいいといった感情
理学療法士として別の職場にいったとしてもなにも変わらないのではないかと思い、同じ日々を続けるしかできなかった

【職場が大変だった原因】
看護師全体の質や、私よりも経験があるPTがほとんどやめてしまい、4年目5年目でも主体的に病棟とやり取りをしなければならなかった環境もあるけれど、
一番の原因は自分が正しいと思うことをしたい気持ちが強く、諦められなかった私自身にあると思う




【仕事で良かったこと】
患者さんがよくなったことに、自分がしたことが影響していると感じられたときが一番嬉しく、充実しているときだった
特に、他の人がやってもうまく行かなかったと言われたり、自身の新しい提案や理学療法の介入方法の変更などで明確に変化が得られたときには、自分が関われてよかったと思うことができた




【特にひどかった最悪の出来事】
一番ひどかったのは先の質問でも書いた病棟で、吸引が頻回に必要な患者のリハビリテーション(排痰から離床まで)中に、ナースコールで吸引を依頼したのに後回しにされ、後回しにされている間に看護助手が吸引瓶を持ち去り(その場の私ではなく同じ部屋にいた看護師にのみ許可を取っていた)、痰で溺れそうな状況で10分以上放置されたこと
そしてリハ中に吸引瓶を持ち去ったことのみを副主任が来て謝罪(絵に描いたような心のこもっていない謝罪)、そのまま立ち去る後ろ姿に、怒りのあまりに「(さっきから3回はナースコール押して)吸引も依頼してるんですけど!?」って大声を出した
その後なんとか吸引をしてもらい、離床しているタイミングであとから師長室に来るように呼び出された
あとで師長室にいき、その副主任からかなりひどい表現(リハ科にやばいやつがいる的な)で聞かされていた師長に一部始終を話し、謝罪をされた上で「でも大きい声だしたら敗けだから」的なことを言われたこと
病院をやめる決意を固めるきっかけになった




【相談した人・助けてくれた人】
その当時には頼れる先輩はほとんどやめるか訪問の方に異動になっていて、唯一1年先輩のPTにはなんでも話すことができた
その先輩はことあるごとに「◯◯さんだから、よかったんだよ」「そうやって考えられる◯◯さんはこの仕事向いていると思うな」と私が理学療法士であることを肯定する言葉を掛けてくれ、救いになっていた

【改善のための行動】
病棟との関係では、リハビリテーション科の上司から師長に依頼してもらって、病棟側にもリハビリテーション科とのやり取りの担当者をたててもらえないか、という話を上司とはしていた
その話をしていた頃に最悪の思い出である出来事があり、自分がその職場で頑張る気持ちがなくなったために話はなくなった
また、その病棟に希望を持つ必要はないから、最低限のやり取りのみ続けたらいいと自分がやめたあとに病棟担当を引き継ぐ後輩にも伝えた
自己肯定感の部分では、病院からの転職を決め、理学療法士からの転職も決めて、異業種、異職種に転職をした




【現在の状況と心境の変化】
あれから2年たち、病院以外での仕事、理学療法士とはことなる仕事にやりがいを感じていたが、結局自分が正しいと思うことをしようとしたために会社でいじめられるようになり、退職、転職を余儀なくされている
仕事は正しさだけではできないことに憤りや、社会に対する諦めのような感情、病院から出れば解放されると思っていたやる気のない看護師の集団は、形は変わってもどこにでもあると感じた
なんなら、その看護師でも仕事をちゃんとしていただけましだと思えるくらいに、仕事もできないのに上に取り入る能力だけで役職を持つ使えない上司によって売られたことで、より大きな絶望を味わった

【学んだこと】
生きていくためには仕事をしないといけないこと
仕事をするためには諦めないといけないこと
諦められないのであれば、自分で道を切り開かなければならないことを知った



【当時の自分へのアドバイス】
転職することで得るものよりも失うものの方が多い
でも失う経験というものも得られるから、そこに居続ける選択をすることはない
ただ、社会や会社は自分で思っているほど早くは回らないから、溢れるやる気を少し押さえること、会社の人間には本音を出すよりも、お客さんや患者さんに接するつもりで接することが必要だと思っておいた方がいい
同僚や上司は仲間ではないから、信じても裏切られることの方が多い
ただ、変わらないことを選ぶのも決断、変わることを選ぶのも決断、1年先、5年先、10年先の自分が後悔しないように進み続けてください
例え失敗したとしても、傷だらけになったとしても、そんなダメな自分も含めて自分を大切にしてください