【脳神経外科の急性期病棟で理学療法士】これが思い描いていた理学療法士?人のために自分が潰れてしまった、切ない思い出。

【脳神経外科の急性期病棟で理学療法士】これが思い描いていた理学療法士?人のために自分が潰れてしまった、切ない思い出。

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
26歳

【当時の職業】
脳神経外科病院の急性期病棟で理学療法士

【当時の住まい】
賃貸マンションで一人暮らしであるが、彼氏と半同棲していた。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
今は退職し主婦





【就職のきっかけと経緯】
学校で開催される就職説明会に参加し、中枢神経疾患に興味があったため脳神経外科のある最寄りの病院を探し、説明を受けた際に印象の良かった病院の2番目。
第一志望は落ちたため、第二志望のところで合格したため就職。

【環境と仕事内容】
やや田舎の小さな脳神経外科病院で救急当番もあるような病院の急性期病棟にて4週8休で勤務。
急性期の中枢神経疾患の患者様や循環器疾患の患者様を対応し、早期離床から回復期病棟への転棟や自宅退院、他病院への転院までのリハビリテーションの実施。
リハビリテーション科の人数は約18名程度で、急性期病棟9人、回復期病棟8人程度在籍。
自分のポジションは平社員辺りであるが、中堅層が少ないため、勤続3年目以降からは後輩指導や学生指導、時折チームをまとめるなど。
患者様は高齢者が主であり、認知症を発症している人も多々。
不穏行動も多く見受けられる。
看護師などの病棟スタッフとはやや関係性は良好。

【大変だった時期】
専門学校新卒で入職し、25歳頃に腰部椎間板ヘルニアを発症し、身体的な不自由と勤続3年目以上になり仕事内容が増え始めた頃からずっと大変でした。




【大変だったこと】
 同じチーム内の他部門(作業療法士や言語聴覚士)が年上なのに責任感の無い行動ばかりされ、こちらが対応せざるを得ない状況が良くある。
チームの輪を乱すような言動や行動が良く見受けられ、チームとして成り立ちにくい。
 困ったことがあり主任に相談しても解決策がいつまでも出てこない。
主任が仕事の効率が悪く、進めたい仕事も結局勤続3〜7年目のメンバーでフォーローしている。
リハビリテーション科に主任以上の地位の人(課長や部長など)がいない。
 患者様が高齢者であり、認知症により他者に迷惑をかける人が多い。
認知症が無くても脳神経外科の急性期疾患を患った人は意識が混濁し危険行動をすることもよくあり、見かける。
不穏な患者様に罵声を浴びせられる、暴力行為がある。
頑固すぎて話が通じない認知症ではない高齢者も多い。
患者様の家族がいなくて退院先に困る。
患者様の家族も話が通じず、退院先の検討に難渋する。
 自分と体格差のある人の介助にて自分の身体が負傷する(腰部椎間板ヘルニアなど)。
ぎっくり腰になったらやれる仕事がほとんどなく、迷惑をかけてしまう。
 担当の患者様や担当じゃなくても、よく知っていた患者様が亡くなってしまうこと。

【大変だった期間】
2〜3年目でだいたい自分の事が自分で出来るようになり、周りの景色が見えるようになってきてからずーっと。




【当時の心境】
奨学金を借りてとった資格だから、しばらくは理学療法士として働かないと。
と言い聞かせていた。
腰の怪我は自分で鍛えたり、コルセットを着用するなりで対処していて、どうにかしたかったけどどうにもならなくて切なかった。
このまま理学療法士は続けられないかもと考えていた。
高齢者相手は疲れるから、いつか自分の好きな小児の分野に転職すると決めて、勉強のためにも経験を積んでおかないとと考えていた。
大変な中でも、お話が楽しい患者さんもいたり、看護師と仲良くなったり、リハビリテーション科の年齢が近いメンバーは仲が良かったため、ストレス発散する場所はあって、心は保たれていた。

【職場が大変だった原因】
特定の人物(職員)もそうだし、小さい病院であるために事務や会社自体の経営的な部分も考えられる。
患者様に関しては高齢者を対応するにあたって仕方ない部分はあると思う。




【仕事で良かったこと】
理学療法をやっていく中で、患者様が回復し、自宅退院や施設退院ができたことに達成感を感じ、やりがいを感じました。
また、患者様でも仲良くできた人が、退院後に外来診察に来た際にわざわざ私を呼び、お礼をしに来てくれるところで元気な姿を見れたこと。
仲の良いスタッフ同士で助けあい、公私ともに仲良くできたこと。




【特にひどかった最悪の出来事】
 担当の患者様が状態不良になり、リハビリテーション以外の身体機能について調べて看護師や医者の分野あたりも勉強して最適な方法が思いついても、コメディカル職という部分で立場が低く、意見を伝える場所があまりなく、患者様の治療方針が変わらず、対応しきれず、患者様が亡くなってしまったこと。
 医者は患者様の病態をMRIやCTの画像と血液データ、エコーデータ、などのデータ上で見ることが主であり、患者様本人の様子を診るのはほんのわずか。
看護師は医者よりも患者様を診ているけど、他の患者様もたくさんいることであまり手が回らずあまり深く患者様を知ってくれない。
リハビリではデータも患者様の状態も知っているし、患者様と一度に接する時間が長くコミュニケーションも多くとり、わずかな患者様の状態変化にも気づきやすいけれど、医者や看護師はあまり相手にしてくれていない現状があり、それにより患者様が助からない場合がとてもつらい。
わかっていたのに、コメディカル職だから対応できずに見届けるだけになるのがつらい。
(リハビリテーションで対応できる部分もあるため全てがそうではないが)しばしば。
 色々大変なことはあるけど、人の死に関わることがとてもつらいし一番忘れられません。




【相談した人・助けてくれた人】
患者様に関しては上司に相談したり、知識豊富な同僚に相談したりしました。
愚痴はより仲の良いリハビリスタッフや看護師の友人に話し発散。
最も話しにくいことなどは、彼氏や現在の旦那など。
救いになった言葉などはありませんが、感情の共有が一番ありがたかったです。
(◆⇒頼りにならない、期待をしていない、あまり仲良くない人だったから)

【改善のための行動】
頑張ったことは、下っ端集団でも意見の数が集まれば上司にもその上にも相談しやすいので、頼りになる仲の良い人たちをたくさん巻き込んで解決策を見出していったこと。
大変な患者様の対応は、性格の相性もあることから、担当を変えてもらうなどで対応してもらった。
大変なことはずっと改善しないため、自分の負担を軽くするには職場を辞めるしかないと思ったため、退職した。
退職してからは、体調もよくなり健康的にストレスもなく暮らせています。




【現在の状況と心境の変化】
自分は大変だった時期が続いたことにより、精神的に働けなくなってしまい2カ月の休職、職場復帰を経て改善するかと思いましたが体調は変わらず、結局勤続6年で退職し、専業主婦になりました。
そのため、ここ数カ月が人と接することがないためストレスフリーとなり体調も改善。
人の生死にも関わらないため、自分を大事に過ごせています。
前の職場には旦那がまだ勤務しており、大変そうな話を聞いているため、一向に問題は改善していないようです。
旦那もいずれは近々転職も考えているとのこと。

【学んだこと】
チームを乱す人は少なからずいるけれど、周りを巻き込んでどうにか対処は都度できるが、根本が改善しない限り、大変なことは続くと思いました。
高齢者の対応の仕方を学びました。
人の命の大切さを学び、結局は自分の身は自分で守らなければいけないと思いました。
いくら病院でもどうにもならない事があるから、まずは病院に行かなくてもいい強い体になること。



【当時の自分へのアドバイス】
人のために働くことが多いかもしれないけれど、自分が潰れてしまっては自分の人生が潰れてしまうから、一生懸命勉強するのも大事だけれど、頑張り過ぎないように。
人は人、割り切れるところは割り切ろう。
コメディカル職ではどうにもならない事もあるから、それを知ったうえで出来る限りのことを頑張ってほしい。
一度心の病気になると、治るという感覚には程遠いような気がする。
まだ現状でも治っていない気がするから、(人混みが苦手になったなど)まずは心の病気にならない程度に頑張って、無理なら仕事を辞めてもいい。
自分を大事にして。