【急性期病院の言語聴覚士】新人でいきなり論文チームに入れられ困難事例だらけで潰れた話。

【急性期病院の言語聴覚士】新人でいきなり論文チームに入れられ困難事例だらけで潰れた話。

【性別】男性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
39歳

【当時の職業】
急性期病院で言語聴覚士

【当時の住まい】
持家で独り暮らしでした。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、違う業種で働いている





【就職のきっかけと経緯】
脳血管外科で著名な病院でした。
資格を取りはじめたのが37歳と高齢でしたので、学校の先生に合っている所を依頼し、紹介された病院でした。

【環境と仕事内容】
急性期病棟の新人言語聴覚士でした。
原因疾患は専ら脳血管疾患の方々です。
亜急性期の方も対象としていました。
職員数は言語聴覚士が15人ほど。
他セラピストは合わせて総勢100人近くいました。
病院全体だと400人以上はいたと思います。
休日出勤もありますが交代制で週休2日制でした。
給与は24万円ほどでした。
寮もあったようですが私は利用していません。

【大変だった時期】
未経験での入職にもかかわらず、入職後1か月に独り立ちさせられました。




【大変だったこと】
新人として入り、プリセプターもついていました。
仲はまあ、そこそこと言ったところでしたが、1か月ほどで独り立ち状態になりました。
育成方針は1年目は見て聞いて覚える。
2年目に自分で動き、学会にも出席。
3年目にプリセプターとなり、論文も提出、というカリキュラムでした。
しかし1か月で独り立ち、さらに3か月目には論文チームに入れられ、非常に難しい患者様を担当させられるようになりました。
もう訳が分からなくなりました。
経験が浅いため、手技がスムーズでない、閃きが足りない、ミスも当然あります。
それらに対して理不尽なくらい怒られることも多かったです。
同期はPOS、ナース含めまだプリセプターがついている状態なのにどうして?と感じました。
学生時代に言語聴覚士協会会長賞を受賞したことがあるため、有望扱いされていたのかもしれませんが全く嬉しくありませんでした。

【大変だった期間】
入職間もなくから3か月間続きました。




【当時の心境】
緊張と苦痛は強かったです。
将来のことなど考える余裕がなく、毎日が辛い日々でした。
将来のことなど考える余裕はありません。
今日の難しい患者の事しか頭にありません。
楽しかったことは全くありませんでした。
強いて言うと同期と一瞬喋って愚痴る時があった時ぐらいでしょうか。
嫌で嫌で仕方がなくなり、適応障害を発症し、休職しました。

【職場が大変だった原因】
はじめのオリエンテーションでの新人教育とは全く違うカリキュラムを辿らされていた点です。
誰がそのようにしたのかは分かりません。
リハ科のドクターは変わらず「聞いて見て覚える段階だよ」と仰ってくれますが、実際は私だけ論文執筆のために困難事例のサンプル収集、考察の嵐でした。




【仕事で良かったこと】
ディサースリアの患者様がいらっしゃいましたが、その方はスムーズにリハビリが提供できました。
色々世間話もできるようになり、やりがいを感じました。
また、昨日まで鬱状態だった患者様がその日は笑顔をたくさん見せてくださった時は嬉しかったです。
障害受容の鬱期を乗り越えただけなのかもしれませんが。




【特にひどかった最悪の出来事】
CATという検査があります。
注意力の検査ですが、その結果を書いたカルテが杜撰だということで、業務後に主任から指導いただけることになりました。
しかし聞きに行こうとすると「忙しいから」と放置。
できるだけ準備をして再度頃合いを見計らって聞きに行くと、「自分で考えろ、知りません」とこれまた放置されました。
1時間以上放置され、仕方がないのでカルテを書き直したり、マニュアルなどを眺めましたが緊張や不安で頭に入りません。
結局、その後再度頃合いを見計らって主任に謝罪すると許して?もらえました。
主任が何について怒っているのか?はたまた機嫌が悪かっただけなのか?自分は何について謝罪しているのか全く分かりませんでした。
その時はっきりと「ここ辞めようかなあ」と思うようになりました。




【相談した人・助けてくれた人】
同期は私の大変さの一部始終を知っていましたので励ましてくれました。
しかし業務がお互い忙しいのでゆっくり話す余裕はありM戦でした。
専門学校時代の担任にも相談しました。
「まさかそんな扱いを受けるとは」と、親身になって聞いて下さりました

【改善のための行動】
新人で慣れない環境下、困難事例ばかり、論文チームにも入っていましたのでがむしゃらという表現しか見当たりません。
頑張ったのかどうかも分かりません。
客観的に見ると低い評価をもらっていたのかもしれません。
プリセプターは最低限の付き合いという感じでした。




【現在の状況と心境の変化】
それから3年目になります。
退職しましたので状況は分かりませんが、同期はほぼ辞めたようです。
今は別業種をしていますが、なんとか頑張っている状況です。
資格や経験は食うに困らない物を取得してきましたので、近いうちにのんびり生活できるようになりたいな、と思うようになりました。
出世欲や高賃金などは全く興味がありません。

【学んだこと】
新人入職1か月の独り立ち、困難事例、論文チームと、今思えばスゴイ期待をされていたようにも思えます。
ただ、そこを乗り越える気力が続きませんでした。
生まれつきの気質がありますが、私にはそのような環境は無理なんだと分かった点で学びと言えるでしょう。



【当時の自分へのアドバイス】
当時の困難な状況を乗り越えると1か月の独り立ち、1年目の論文執筆と、快挙・大型新人ともいうべき存在になっていたかもしれません。
しかしその代償は私には大きいものです。
今でも急性期病院に就職したいと思いません。
ストレスで自分をすり減らす必要は全くありません。
自分が欲するもの。
それを見極めて無理のないように仕事をしていくのが一番です。